『突破』
死んでから12日目にして、ようやく同類が見つかった。
保坂保子という中学生で、歳は同じだけれど幽霊としては僕より2年先輩だと言う。
「消えたくないならね、とにかく楽しんじゃうことよ」
幽霊の寿命について恐る恐る訊ねたところ、あっけらかんと保坂は言った。
「よく生前の恨みを晴らして成仏する幽霊っているじゃない?
あれって目的は果たしたけれど、他にすることがなくなっちゃうから消えるのね。
私はバカだと思うな。せっかくこんな自由な体になれたんだから、
みんなもっと居残りして楽しめばいいのに」
保坂の説が正しいのかは分からないけれど、
少なくとも彼女自身が消えずにいるという事実は参考になる。
僕は彼女にもっと幽霊について教えてもらおうとした。
「そんなことより遊びに行こうよ。久しぶりに話し相手ができて盛り上がっちゃった」
保坂は僕の手を取るなり地面を蹴った。一瞬のうちにビルの屋上よりも高く舞い上がる。
「あっ、そうだ。今日って土曜日?
全米震撼の大作映画『ポマード』が公開じゃん。今から映画館に行こう」
現在地と映画館を直線で結んだのだろう。斜めに降下しながらアーケード街に突っ込む。
「ちょ、まっ、ぶっ……!」
僕は大の字になってガラスに激突し、アーケードの屋根に取り残された。
「何やってんの?」
屋根から顔を出した保坂があきれたように言う。
「……僕、その壁抜けってやつ? できないんだよね」
「はいぃ? 壁抜けなんて幽霊の専売特許じゃない。君、何のために幽霊になったの?」
「別に壁抜けするためになったわけじゃない」
「いい? 幽霊ってのは心の存在よ。思った通りのことができるの。
マトリックスって映画、見たことない? 自分をもっと信じて」
「そんなこと言われても。僕のイメージでは幽霊ってのはもっと控え目だよ。
飛ぶことはできても、せいぜい宙を漂うくらいで、
君みたいにハリウッドばりの飛び方なんてしない。
壁だってガンガンすり抜けたりしない。もっと、こう、消極的な感じ?」
「損してるなあ。そんなんじゃいつ消えちゃうか分かったもんじゃない。
幽霊は退屈したらお終いなんだよ。それに、話し相手がいなくなると私が困るんだよね。
決めた。今から壁抜けの特訓よ」
手をつかまれ、再び上空に飛び上がる。障害物を避けて下り立ったのは、橋の下の河川敷だった。
「さあ、そこのコンクリートの柱にトライ」
胴回り5メートルほどもありそうな支柱を保坂は指差した。
「段階的に教える気、ゼロ? さっきのアーケードの屋根より明かに固いし分厚いし」
「人がいるところだと集中できないでしょ。
それに薄い壁から始めると、厚さによって自信が揺らいだりするものなの。
それならいっそ、最初から厚いやつをクリアした方がいい」
僕は人差し指をコンクリートに押しつけてみた。力を入れると指の方が折れ曲がる。
「要はイメージよ。壁が豆腐でできていると思えばいい。豆腐にするりと指先が入っていく感じ」
「豆腐はあまり好きじゃない」
「だったら杏仁豆腐でどう? 甘くて美味しい。私は好きだな」
僕は諦めて壁抜けの練習に励んだ。成功したらめっけもの、くらいの気持ちだった。
そこが逆によかったのだろう。何度目かで指先がつるっとコンクリートに入り込んだ。
「そうそう。その指先の感覚を体全体に拡大して、あとはもう迷わない。決然とダイブよ」
僕は少し距離を取り、勢いをつけて指先からコンクリートに飛び込んだ。
杏仁豆腐の中を滑るようにしてすり抜ける。
「やった。やればできるじゃない」
「……うん。まあ、そうだね。できた」
正直、まんざらでもなかった。
「さあ、次は高速で空を飛ぶ方法よ」
保坂が差し伸べた手を、僕は自分から握りにいった。
〜おわり〜